約 3,317,997 件
https://w.atwiki.jp/reportdesigner/pages/80.html
#blognavi Report Designerで作成したレポートをWeb上で実行しプレビューする際、 PDFやEXCELへエクスポートするためのボタンを活性化し押せるようにする方法をまとめました。 エクスポートライセンスの有効化.pdf カテゴリ [FAQ] - trackback- 2011年01月28日 19 04 00 名前 コメント #blognavi
https://w.atwiki.jp/puyopuyo/pages/4.html
数学・コンピューター 経済
https://w.atwiki.jp/reportdesigner/pages/61.html
#blognavi Report Designer利用者知恵blog(FAQ)の閲覧制限を外し、保守契約ユーザ様以外でもご覧いただけるようにしました。 カテゴリ [お知らせ] - trackback- 2010年10月22日 17 14 40 #blognavi
https://w.atwiki.jp/realmassault/pages/36.html
過去レポート 【2009年】 08月度 04月度 03月度 02月度 01月度 【2008年】(2008年度累計アナウンス回数996回) 12月度 11月度 10月度 09月度 08月度
https://w.atwiki.jp/sfrontier/pages/75.html
Books 作成日 2007/11/05 T.Kodama 更新日 2007/11/20 H.Naito Programing Programing No 名前 版数 出版年月日 著者 出版社 値段 (+tax) 保持者 貸出先 作成日 更新日 購入 ブックレビュー 001 オブジェクト嗜好度向上計画 初版 2003/05/29 井上 樹 翔泳社 2200 小玉 内藤 NULL 2007/11/20 2007/11/20 amazon NULL 002 入門 オブジェクト指向設計 初版 2005/01/07 滝澤 克泰 SOFTBANK 2600 小玉 NULL 2007/11/20 2007/11/20 NULL NULL 003 オブジェクト開発の真髄 - UML2.0を使ったアジャイルモデル駆動開発のすべて - 初版 2006/09/12 Scott W.Ambler 日経BP社 4200 内藤 NULL 2007/11/20 2007/11/20 amazon NULL
https://w.atwiki.jp/galskd/pages/8.html
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/2864.html
【登録タグ B tamaGO 曲 重音テト】 作詞:tamaGO 作曲:tamaGO 唄:重音テト 曲紹介 巡り来る年月に。音遊び言葉遊びを多用したエレクトロポップ 歌詞 (Piaproより転載) 季節がめくりめくれめくめくるくると あたしにくれるくれるくれくれくるくる ページがめくりめくれめくめくるくると また日に暮れるくれるくれくれ来るくる ℃と身体 三日月発見 ドット柄のワンピース揺らし 届かないこともしまって どこからともなくあなたの息 かすめるとき 気づくあたし くずれて泣き あなたの右 はじける秋 気づけあたし 使い切る前に あなたが巡り巡れ巡るぐるぐると 出会いをくれるくれるくれくれくるくる ページがめくりめくれめくめくるくると また皮肉れるくれるくれくれくるくる くれる また日に暮れてただ皮肉れるあたしにくれるあなたに触れる 彼方に揺れる新たな文字をあなたにあげても 言葉じゃどうにもならないなら 笑顔でどうにかしてみせるからここにいて? コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2026.html
Report.16 長門有希の憂鬱 その5 ~朝倉涼子の報告~ 「ゆ……き……?」 涼宮ハルヒは、突然現れたわたしに恐る恐る声を掛けた。わたしは無言で視線を向ける。 「話はあと。」 極めて短い返答。わたしは二人に向けて言った。 「朝倉涼子、支援を要請する。ハルヒ、下がってて。」 「な!? 何言(ゆ)うてんの!?」 【な!? 何言ってんの!?】 ハルヒが声を上げた。 「涼宮さん!!」 彼女に負けじと声を張り上げる涼子。 「今は……長門さんの言う通りにして!!」 「あんたは、あたしに黙って見てろって言うん!?」 【あんたは、あたしに黙って見てろって言うの!?】 「だいじょうぶ。」 わたしが声を掛ける。 「あなたが信じてくれる限り、わたし達は負けない。」 「そんなこと……!」 わたしは彼女を見据える。しばらく見つめ合っていたが、とうとう彼女は観念した。 「……分かったわ。でも、約束やで? 絶対、無理したらあかんで。」 【……分かったわ。でも、約束よ? 絶対、無理しちゃだめよ。】 「約束する。」 彼女は後ろに下がった。わたしは攻撃者に向き直る。 攻撃者は、目の前の状況が何を意味するのか、正しく理解していなかった。わたしの全身から立ち上る、無言のプレッシャーを。『透明オーラ』を。すなわち、闘気を。 わたしは、正に怒り心頭に発しようとしていた。 『情報統合思念体と接続できないの。』 涼子は通信で状況を伝えてきた。 『この襲撃してきた一派……過激派に、情報統合思念体の一部が乗っ取られている。通信プロトコルが強制的に変更された。あなたが接続を切られているうちにプロトコルが改竄されたため、あなたが接続できない。今からプロトコルを伝える。』 わたしは涼子に、プロトコルその他の必要な情報を送出した。 『同期……確認。プロトコル解析……終了。再接続試行……接続成功。OK、行けるわ。』 わたしは、帰ってきた。彼女がわたしに会いたいと願ったから。 わたしは、三人称である『観測者』となっていた。しかし今、一人称である『長門有希』を取り戻した。 わたしは、攻撃者に視線を集中させる。攻撃者は、彼女達に危害を加えようとした。その事実だけで十分。 「あなたは、わたしを怒らせた。」 情報連結解除は、たやすい。でも、それではわたしの『怒り』が収まらない。直接殴らないと気が済まない。 「……覚悟して。」 『長門さん。涼宮さんの前で、どうやって戦うつもり?』 涼子から通信。 『人間の能力の範囲内で行動する。「武術の達人」程度。でも、やり過ぎてしまうかもしれない。』 『あれだけ仕事が正確な長門さんとは思えない、感情的な発言ね。』 『……この気持ち、いずれあなたにも分かる時が来る。』 その後の様子は省略する。なぜなら、ほとんど覚えていないから。わたしは、人間の言葉で表現すると『怒りに我を忘れた』状態になっていた。断片的にしかログが残っていない。 長門さんは怒りに我を忘れ、ログが正しく記録されていなかったようなので、以下、長門さんに代わってわたし、長門有希任務代行・朝倉涼子が報告します。 追い詰められたわたしは、賭けに出た。 話の展開としてはかなり無理があったけど、状況が状況だけに、仕方がなかった。それに、涼宮さんも、完全に現実感を喪失していたので、都合が良かった。多少話に無理があっても、気付かないから。 とにかくわたしは、涼宮さんに、長門さんがここに助けに来るというイメージを持つよう誘導した。その甲斐あって、ついに長門さんは復活した……のは良いんだけど、彼女の目の前で鉄筋の雨を爆散させるなんて、そんな派手な情報改変はまずいんじゃない!? 『問題ない。それに、やるなら盛大にとことんやった方が、あとでごまかしが利く。』 彼女の常識から大きく外れた、ありえない現象を見せ付けた方が良いっていうわけね。でも彼女はかなり非現実的な出来事に敏感だから、ごまかすのは大変なんじゃない? 『そう。だから、とりわけ盛大に行う必要がある。ためらえば感付かれる。』 ……ちょっと、今の長門さんは、何と言うか『危険な香り』がするわね。 『わたしは至って冷静。』 他のインターフェイスならともかく、わたしの目はごまかされないわ。その全身から立ち上る闘気は何ですか、長門さん。 『……気にしてはいけない。』 気にするっちゅうねん! というツッコミはさておき。長門さんは、攻撃者に向き直って言った。 「あなたはわたしを怒らせた。覚悟して。」 やっぱり怒ってんじゃん! 長門さんは腰から武器――ヌンチャクと呼ばれる、二本の棒を鎖で繋いだもの――を取り出し、わたしの周りに突き刺さった鉄筋を薙ぎ払った。わたしは長門さんに助け起こされる。 「あなたにはこれを渡しておく。」 そう言って長門さんは、背中に背負っていた長い包みをわたしに手渡した。開いてみると、 「薙刀……」 そこには、長い柄の先に湾曲した刃物が付いた武器が入っていた。 『涼宮ハルヒの嗜好を考慮して、あなたに似合う武器を選定した。刃は付いていないが、それ以外は本物に限りなく近い。以前のあなたの得物とは違うが、問題ないと思う。』 前科(ナイフ)の話は勘弁して…… 薙刀の使用法をダウンロード……完了。『薙刀使い』のできあがり。 「わたしは攻撃者を叩く。あなたは涼宮ハルヒの護衛をしてほしい。」 「了解。」 わたしは、涼宮さんの元に戻った。 「あんた、薙刀使えるんや……」 【あんた、薙刀使えるんだ……】 「まあね。嗜む程度には。」 そういうことにしておこう。『謙遜』って言うんだっけ。……ちょっと違う気もするな。 そんなやりとりをしてる間に、長門さんは華麗にヌンチャクを振り回し始めた。無言で。情報検索……『李小龍』っていうアクション俳優の動きなのね、これは。なるほど、確かに彼は、人間にしては良い動きしてるわね。動きに無駄がないわ。 ウォーミングアップと威嚇を兼ねたヌンチャク演舞を終えて型を決めると、長門さんは攻撃者と静かに相対した。沈黙が辺りを支配する。仮想段階での攻撃の応酬が繰り広げられている。人間の言葉では『気組み』等と呼称するそうだ。 先に動いたのは、長門さんだった。滑らかに身体を滑らせ、攻撃を開始した。 速い。というか、鬼気迫るものがある。鉄筋の射撃をものともせず、ヌンチャクが舞う。ヌンチャクが止められれば、すぐに鋭い前蹴りが飛ぶ。あまりの速さに、攻撃者反応できず。蹴りが入った一瞬後に、攻撃者の意識が蹴りを入れられた部位へ向かう。そのためガードが少し下がったのを、長門さんは見逃さなかった。 左正拳突き……いや、ジャブか。そのまま素早く左三連打。一発一発がそれぞれ必殺級の威力なのに、あくまでコンパクトに素早く打ち込んでいく。三点バースト射撃とでも言うべきだろうか。そして再びヌンチャク乱舞。サンドバッグを殴るかのように、攻撃者を翻弄する長門さん。 いい加減うずくまりそうな攻撃者の頭らしき場所を左脇に抱えると、背後で右踵を跳ね上げるように使って蹴る。いったん攻撃者を身体の正面に持ってくると、左膝蹴り。そして胴回し蹴りからそのまま逆立ち状態で攻撃者の首らしき部位を脚で挟むと、攻撃者の足元に飛び込みながら、地面に叩き付けるように投げた。 ……また派手な技使うわね。 「白……か。」 後ろでポツリと呟く涼宮さん。あー、スカートの中のことを言ってるのね。 ちなみに今の攻撃は、相当な速さで繰り出されたけど、さすがは涼宮さんね。あの速さで見えてるのか。そういえば、わたしの時にも何か言ってたような……と思ったら、ぽん、と肩に手を置かれた。 「あんた……結構可愛いの穿いてるんやね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわ。」 【あんた……結構可愛いの穿いてるのね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわよ。】 再構成されるときに、あなたの嗜好を考慮してるからね。 それにしても、わたし達は人間じゃないけど、人間の女の子の姿をしてるんだから、仮にも女の子のあなたが、余り『ぱんつ』で喜ばないでほしいな。 『それは涼宮ハルヒが現実逃避に走っている証拠。その方がやりやすい。』 ……そりゃあ、あなたは『ぱんつ』どころか、もっとすごいことになったから、今更『ぱんつ』が見えたところで動じないんだろうけど。 『あなたが一番、ぱんつぱんつ言っている。』 はう。 長門さんにツッコまれた。 冷静に通信でツッコミを入れながらも、長門さんはひたすら無表情でストッキング仮面(仮名)をしばき上げている。相変わらずものすごい闘気を纏いながら。それにしても、わたしが出る幕ないと思うんだけど。 『もうすぐ。』 長門さんはヌンチャクを構え、攻撃者を見据えて言った。 「あなたはもう死んでいる。」 どこの世紀末救世主ですかとツッコむ間もなく、長門さんは、涼宮さんに見えない角度で詠唱を始めた。ものすごい勢いでしばき回しながら、攻撃者に崩壊因子を組み込んでいたのね。 詠唱が完成すると、攻撃者は音もなく、煌めく砂となり、崩れていった。 それが合図だった。 わたしは、この空間内へ急速に敵性存在の気配が満ちていくのを感じた。 『今倒した攻撃者は、尖兵に過ぎない。これが倒されることが、その後の展開の引き金。作動させないと、この空間封鎖を完全に破ることはできない。』 まるで空間そのものを材料として、先ほどの攻撃者同等の存在が無数に生み出されていくかのような気配。 「……はぁっ!!」 どこからともなく飛んできた飛翔体……鉄筋を、わたしは薙刀で斬り飛ばした。あれ? 刃は付いてないんじゃなかったの? でも、今はそれどころじゃない。 これって、全方位から狙撃されるってことじゃない!? 『そう。』 何てことだ。 もちろん、インターフェイスとしての能力を最大限生かせば、防ぐのはたやすいけど、今はそばに涼宮さんがいる。長門さんが『彼』を庇いながら戦った時とは、わけが違う。なぜなら、涼宮さんにはわたし達の力をすべて見せるわけには行かないから。あくまで『人間の枠内』で対処しなければならない。例えば防護フィールドは使えない。 正直言って、キツい。ああ、考えてるそばから鉄筋がいっぱい飛んできたよ。忙しいなあ、もう。 わたしは薙刀を振るって鉄筋を斬り飛ばしながら、涼宮さんを護る。長門さんは、相変わらず無表情で、ヌンチャクを振り回して鉄筋を叩き落としている。 どうやってこの局面を切り抜ければ良いんだろう。そう考えていると、 『準備ができた。』 長門さんの通信と同時に、誰かがこの空間に突入した気配。 『朝倉さん! 長門さん! そっちの様子はどうなってますか!?』 突入したのは喜緑江美里だった。こっちは正直キツいかな。 『こちらは、涼宮ハルヒの手前、余り動けない。支援を要請する。』 長門さんの通信に、喜緑さんが答えた。 『了解しました。』 情報統合思念体に申請して、情報を共有する。……『彼』、朝比奈みくる、古泉一樹も伴っているのか。全員持てる能力を最大限に発揮して戦っている。本来は非戦闘員である『彼』には、武器が支給されている。一体どうなってるのかしら。 『喜緑江美里達には、別動隊として、派手に戦って敵勢力を引き付けてもらう。』 古泉くんは、閉鎖空間仕様の赤い玉になって、縦横無尽に飛び回っている。 朝比奈さんは、文字通り『人間兵器』、『歩く凶器』と化して、辺り一面を薙ぎ払ってる。『アレ』を解禁したのか。 『彼』は、支給された武器をちゃんと使いこなしているようだ。武器に支援システムを組み込んであるのね。 喜緑さんは……って涼宮さんがいないからって、そんな大技……ちょっと演出過剰なんじゃない? 『あれくらい派手にやってくれた方が、都合が良い。』 確かに、こちらへの攻撃がだんだん手薄になっていってるけど……ああ、また喜緑さんの大技が炸裂した。同時に土煙が立ち上るのが見え、少しして轟音が聞こえてきた。ここから目視できる距離で戦ってるのか。そして、『彼』の武器が変形した……!? ちょっと!? 涼宮さんがいないからって、無茶しすぎ! 比較すると、こちらは肉弾戦仕様パーティーで、あちらは飛び道具部隊か。さては、喜緑さん……深夜アニメでも観たな? え? なんでそんな例を思い浮かべたかって? ……わたしには待機モードの三年間、暇つぶし……もとい、『情報収集』の一環として、日がな一日、テレビを見て過ごしていた時期があった。色々観た番組には、アニメ番組も含まれていた。深夜アニメには、結構『熱い』作品が多かったかもしれない。 人間がそのまま演じる実写ドラマに比べると、アニメは表現がより『情報』に近い。普段は『肉体』というフィルターを通してしか表現できない人間の内面、すなわち『感情』が、アニメではより純粋な情報に近い形で表現されていた。人間の感情がよく分からない当時のわたしには、それは『人間らしい』所作の研究に役立った。 朝から昼は、人間達の会話に違和感なく溶け込めるよう、ニュース番組を欠かさずチェック。朝早くはニュースや交通情報が多い番組も、昼が近くなるに連れて、芸能人の話題が増えていく。これは、一般的な人間の生活様式に合わせた結果であることが分かった。ただ、余り見過ぎると、わたしの設定年齢からかけ離れた年代の人間と同様の思考パターンに陥る、人間の言葉で言うと『おばはん臭くなる』という諸刃の剣。素人にはおすすめできない。 今にして思えば、意外と『人間生活』を楽しんでたんだな、わたし。 『もうすぐ、次の機構が作動する。』 長門さんの通信が入る。 何で情報統合思念体と再接続したのに、わたしが余り状況を把握できていないかというと、未だリンクが完全には確立していないから。ノイズが多すぎて、再通信が頻発し、実効通信速度が極度に低下している。おかげで、インターフェイスとしての能力を六割程度しか使えていない。 これは、涼宮さんがいなかったとしても、あんまり力を使えなかったわね。辛うじて、他のインターフェイスとの通信を保持できてはいるけど、これも危うい。映像と音声でしか通信できず、しかもノイズだらけなので、現在の人類の技術水準による通信、携帯電話によるTV電話程度の精度でしか通信できない。通常の情報共有に比べれば極めて不完全。 ……何だか、わたしって足手まといっぽいな。ちょっとヘコむ。 『一つずつ機構を作動させていくのは、効率が悪いので、ここらで一気に片を付けますね。』 喜緑さんからの通信。同時に、喜緑さんは詠唱を始める。 えええ!? そんな大きな情報操作を…… 『これより、情報共有はパッシブモードに切り替えます。事が済むまで通信には答えられないと思いますので、連絡事項は今のうちにお願いします。』 喜緑さんの通信に、長門さんが答える。 『こちらは、三人で移動を開始する。合流は北高文芸部室にて。以上。』 『了解しました。健闘を祈ります。それでは30秒後、対閃光衝撃防御願います。以上。』 この通信を最後に、喜緑さんからの映像と音声が届かなくなった。 「涼宮さん! 目を閉じて耳を塞いでっ! 早くっ!!」 「えっ!? えっ!? こ、こう!?」 戸惑いながらも、わたしの指示に従い、涼宮さんが目を閉じて耳を塞ぐ。それを確認すると、わたしは素早く耳栓を構成して装着し、彼女を庇うように抱き締めて目を閉じた。長門さんは、イヤープロテクターとサングラスを構成して、装着していた。 そして…… 世界が強烈な光に包まれるのが、瞼の上からでも感じられた。一瞬後に、激しい衝撃波と爆発音。涼宮さんに目を瞑らせた上で防護フィールドを展開してはいるけど、それでも激しい余波。 余波が収まると、すぐに耳栓を分解してから、辺りの様子を確認する。まだ空間封鎖は解けていないけど、攻撃される気配はない。 「今のうち。」 と、イヤープロテクターとサングラスを分解した長門さんが言った。涼宮さんも、目を開けて耳を塞いでいた手を離した。 「今のうちに、移動しよ。」 【今のうちに、移動しよう。】 「どこに?」 わたしの言葉に、涼宮さんは疑問を返す。行き先は一つ。 「とりあえず、北高に避難しよ! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になっとぉやんか。逃げる場所としては、最適やと思わへん?」 【とりあえず、北高に避難しよう! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になってるじゃない。逃げる場所としては、最適だと思わない?】 「確かにそうかも……」 「ほら、急ご!」 わたしは涼宮さんの手を引いて駆け出した。長門さんも無言で後に続く。背後から、また爆発音が聞こえ始めた。 『喜緑さん、頼んだわよ。』 返答が返ってこないと知りながら一言送信すると、わたし達は北高を目指した。 余計なお世話だと思うけど、こんな長い坂道の上にあるんじゃ、本当に避難する時、大変なんじゃないかな? 立地条件には関係なく、『学校』という属性だけで、避難場所として指定されているらしい。こういうのを『お役所仕事』と呼称するそうだ。 人間って、わたしにとっては時々、訳分かんないというような不合理な行動を取る不可思議な存在だけど、そんな人間にも訳が分からないと考えられてるのが、『お役所仕事』だそうだ。そのような『お役所仕事』の範疇に含まれるところの、公立学校である北高に着いた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 長い坂を駆け上がってきたおかげで、さすがの涼宮さんも息が切れたようだ。肩で息をしている。 「はぁ、はぁ……ふぅ。さて、北高に着いたは良いけど、この後どうすれば……」 「部室。」 涼宮さんの問いに、長門さんが極めて短い単語で答えた。 「なるほど、確かに、うちらが共通して知っとぉ場所って言(ゆ)うたら、文芸部室やね。」 【なるほど、確かに、わたし達が共通して知ってる場所って言ったら、文芸部室よね。】 と、わたしも同調する。正副インターフェイスの連係プレイで、手際良く涼宮さんを部室に連れ込む……もとい、誘導するわたし達。遅い時間になっていたとはいえ、校庭に誰一人いない光景を涼宮さんに見せ続けるのは良くない。……校舎内も似たような状況だけど、部室の中に入ってしまえば、外の様子は余り気にならないからね。 部室に入り扉を閉めると、ようやく一息つく。 喜緑さんとは相変わらず通信が途絶してるので、状況は全く分からない。遠くの方で何やら爆発音が聞こえるので、まだ戦闘は続いてるんだろう。 涼宮さんをここに匿って待機、か。こうなると、もう……人間の言葉で言うところの『祈る』ことしかできない。 ここまでずっと涼宮さんの手を握っていたけど、もう大丈夫かな。そう思って手を離そうとしたら、 ぎゅっ 涼宮さんは、わたしの手を離そうとしない。それどころか指を絡め、しまいには腕に組み付いてきた。 あのー、涼宮さん? あなたは何をしておいでなのでしょうか。 「べ、別に不安やからとか、そんなん違(ちゃ)うんやからね! あんたが怖がったらかわいそうやから、手ぇ繋いだげとぉだけなんやからね!」 【べ、別に不安だからとか、そんなんじゃないんだからね! あんたが怖がったらかわいそうだから、手繋いだげてるだけなんだからね!】 うん、もうどこに出しても恥ずかしくない、立派なツンデレさんだね。そんな真っ赤な顔して、そっぽを向きながら、震える手で言っても、全然説得力ないわ。 「!? ……あ、あほぉ、そんなん違(ちゃ)うって……」 【!? ……ば、ばかぁ、そんなんじゃないって……】 照れるツンデレ萌え、って表現するのかな。照れる涼宮さんの、何と可愛いことよ。 「――っ!! も、もう、知らん!」 【――っ!! も、もう、知らない!】 ぷいっ、と涼宮さんはそっぽを向いてしまった。 ぎゅうー わたしは、照れて首まで真っ赤になった涼宮さんを抱き締めた。正直、たまりません。 「大丈夫、何(なん)も心配せんでええよ。わたしも長門さんも、付いとぉから。」 【大丈夫、何(なに)も心配しなくて良いわよ。わたしも長門さんも、付いてるから。】 わたしがそう囁くと、涼宮さんは『ふみゅぅー』とでも擬態語を付けるのが適当な様子で、ふにゃふにゃとわたしの胸に顔を埋めてきた。よしよし、頭撫でてあげる。……抵抗はしないのね。 「……しばらく、こうさして。」 【……しばらく、こうさせて。】 やっぱり不安だったのね。あー、もう、可愛いなぁ。なでなで。って、長門さんを差し置いて、こんなことをしちゃって良いのかな。 涼宮さんは、わたしに頭を撫でられるがままになっている。引き継いだ観測結果からすると、極めて珍しい光景。 いつもは元気いっぱいに振舞っているけど、いくら規格外の彼女とて、やはり人間。他の人間同様に、『不安』や『恐れ』といった感情もやはり存在するというのが、これまでの観測結果。更に言えば、人間の言葉で表現すると、かなりの『甘えん坊』。普段はそれを表に出さないだけ。 そう考えると、長門さんと似た者同士と言えるのかもしれない。 長門さんは、どんな感情(に類するもの)も、一切表に出さないように設定されている。もっとも、最近はそれでも微弱な揺らぎが表出したり、特定の人間には感情を見せたりするようになったみたいだけど。 とにかく、どちらも『本当の感情を表に出さない』という点では、共通している。そんな似た者同士の二人だから、惹かれあってしまったのかもしれない。タブーを超えて。 冷静沈着に任務を遂行するように設定されているはずの長門さんが、今回のように、『怒り心頭に発し』、『我を忘れて』大暴れするなんて、本来考えられない状況。なのに、それは起こった。 今や長門さんは『観測者』たり得ない。涼宮ハルヒに影響を与える重要な要素の一つになっている。『鍵』は『彼』だけではなくなった。長門さんも含めた『SOS団』そのものが、涼宮さんにとっての重要な『鍵』。 そう、『変化』は起こっている。 かつてわたしが、そしてわたしが所属していた急進派が求めて止まなかった『涼宮ハルヒの変化』が、『変化』を求めず、『現状維持』を目指した主流派に属する、長門有希の存在によって起こっている。何て皮肉なことかしら。 わたしは変化を求め、『彼』を殺そうとした。 長門さんは現状維持を求め、『彼』を守ろうとした。 そしてわたし達は戦った。その結果、わたしは有機情報連結解除……人間の言葉で言えば『殺害』された。かくして、変化を求める勢力は敗れ去り、現状維持を求める勢力の思惑通りに事が進む……はずだった。 でも、そうはならなかった。現状維持を望む側の長門さんが暴走し、世界を改変してしまった。 今なら分かる。変化を抑えようとする意向が、変化を免れない有機生命体……ヒューマノイド・インターフェイスを狂わせた。 情報統合思念体は、この事実を重く受け止めるべきだろう。本当に、有機生命体である涼宮ハルヒを理解したいと思うのなら。 涼宮さんの不安そうな顔を見ると、その思いはますます強くなった。彼女にこんな表情をさせるようなことが、彼女の理解に資するとは思えない。 もしあの時、わたしが勝って『彼』の殺害に成功していたら、どうなっていただろうか。 情報爆発は、確かに起こっただろう。でもそれは、『悲しみ』に彩られていたに違いない。そして、情報統合思念体自身も、無事では済まなかったはず。これは、長門さんが世界を改変した時、情報統合思念体を消滅させた事実からも明らかなこと。 あの時情報統合思念体は、人間の言葉で言えば『肝を冷やした』。例え世界が壊れても、自分だけは大丈夫だと考えていたから。 情報統合思念体の存在を知っていたからこそ、長門さんはそれを選択的に消滅させるという芸当ができた。しかし、だからと言って、その存在を知らない涼宮さんが改変するならば、情報統合思念体は無事でいられるという保証にはならない。 もし涼宮さんが、『宇宙人も未来人も異世界人も超能力者も、何もかもどうでもいい』と思って情報爆発で世界を書き換えたら、どうでもいいと思われた宇宙人の範疇に入る情報統合思念体も、消滅しないという確証はない。むしろ、同様に消滅すると考えた方が自然だろう。 強硬な手段を使って涼宮ハルヒに情報爆発を強制的に起こさせた場合、非常に高い確率で、それは『悲しみ』又は『絶望』という属性を持った情報爆発になると予想される。そしてその『悲しい』情報爆発は、同様に非常に高い確率で、世界を崩壊させ、情報統合思念体も、そして恐らくは広域体宇宙存在も、共に消滅させてしまうと予想される。 それでも、情報統合思念体は、強硬な手段を執る選択肢を残すべきだろうか。 わたしには、それが得策であるとは到底思えない。検討する価値もないとさえ思っている。 『終わった。』 そんなことを考えていたら、長門さんから通信が入った。慌てて周囲の状況に感覚を振り向ける。空間封鎖が解かれて、通常空間に復帰していた。周囲の音も聞こえるようになっている。 『空間封鎖の解除、通常空間への復帰を確認。ふう。終わりました。今からそちらへ向かいますね。』 喜緑さんからの通信が入った。無事、攻撃者達を排除したみたいね。 『お疲れ様。』 長門さんが、労いの言葉を掛けている。これも、少し前では考えられなかったこと。 「涼宮さん。大丈夫やで。」 【涼宮さん。大丈夫よ。】 わたしは、涼宮さんに声を掛けた。ずっとわたしにしがみついていた涼宮さんが、わたしの顔を見つめる。 「怖い夢は、もう終わり。」 我ながら無理がある締めの言葉だと思う。でも、他に言える言葉を、わたしは知らない。 「……夢?」 涼宮さんはわたしの顔をまじまじと見つめた後、わたしの肩に視線を移して言った。 「あれ? あんた、肩の傷は……」 肩の傷は治しておいた。最初から傷などなかったように。 「ここには、涼宮さんがおって、わたしがおって、長門さんもおる。誰もおらへんようになってへんし、誰も傷付いてへん。それで十分やんか。ね?」 【ここには、涼宮さんがいて、わたしがいて、長門さんもいる。誰もいなくなってないし、誰も傷付いてない。それで十分じゃない。ね?】 そう言ってわたしは、ウィンクした。 「…………」 涼宮さんは、長門さんばりに黙りこくってしまった。無理もないわよね。 「それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたで。」 【それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたのよ。】 「え? あ、ああ……」 まだ涼宮さんは本調子じゃないわね。どこか上の空。 「あ、えっと、その……」 「ただいま。」 まごつく涼宮さんに、長門さんは極めて短い単語で、的確に返答した。そして…… 長門さんは、目を細めて微笑した。 「! あ……お、おかえり……」 長門さんの微笑に、涼宮さんは頬を染めてはにかみながら答えた。 ……わたしは、長門さんの微笑と、涼宮さんのはにかんだ表情に、見とれていた。 ←Report.15|目次|Report.17→
https://w.atwiki.jp/abies/pages/13.html
田中 麻梨亜(たなか まりあ) 本のタイトル(著者名)※こんな風にamazonへのリンクを貼ると親切 内容:あああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいうううううううううううううううううううううううううえええええええええええええええええええええおおおおおおおおおおおおおおおおおお 感想:あああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいううううううううううううううううううううううううううううううううえええええええええええええええええええええおおおおおおおおおおおおおおおおおおお 竹鼻 翼(たけはな つばさ) 板垣 健太郎(いたがき けんたろう) 憲法への招待(渋谷秀樹) 内容:著者の渋谷秀樹という人は、司法試験を受ける人は読むであろう、「芦部憲法」で有名な故芦部信喜の一番若い弟子だそうです。題名のとおり、憲法学と関連づけての日本国憲法の解釈の仕方など、すごく分かりやすい解説となっています。日ごろ皆さんが憲法や政治などに対する疑問などは、大体解決できると思います。 感想:非常に分かりやすいです。法学部に入る学生は必読ではないでしょうか。私が同意できたと思う一文をあとがきより引用します。「日本は今、憲法論議が過剰であり、かつ過少である、といった状況にあると思います。憲法の本質を知らないままに自分の思い込みによって憲法を論じたり、自分の主張に都合のよい憲法解釈を展開する傾向が強いという意味で過剰であり、にもかかわらず、憲法の本質を踏まえた議論がほとんどなされていないという意味で過少なのです。」前々から思っていたことですが、そう思いました。改憲派も護憲派も一度腰をすえて、落ち着いて憲法を見つめなおすべきだと思います。 正義で地球は救えない(池田 清彦, 養老 孟司) 内容:あまりに無益な「CO2排出量削減」キャンペーン、ひどく不合理な「自然の生態系保護」政策…。「環境を守りましょう」という精神運動は、どこまで暴走していくのか!?「ほんとうの環境問題」とは何かを考えるための一冊。(アマゾンより引用) 感想:最初は、「単なる浅はかなアンチエコ本かな」と思っていたのですが、なかなか核心に迫るものがありました。CO2を減らすくらいなら、今ある石油を使って代わりのエネルギー技術を作ったほうがいいというのは当たっていると思いました。昔の農村(江戸時代とかの社会)などを希望するという点では、これから重要な見解になるでしょう。そんな気がします。人間は都市化ばかりがいいというものではありません。「この本を読んでくれる人は、多分世間が変だと思っている人でしょう。むろん本音では、そういう人に増えてほしい。」世の中は疑って掛かる必要がありそうです。 空想から科学への社会主義の発展 新訳(フリードリッヒ・エンゲルス著 寺澤恒信訳) (私はたまたま国民文庫の版を手にいれることができ、それを読んだが、同じ内容のものが岩波文庫から出ており、「 空想より科学へ(大内兵衛訳)」がある。こちらのほうが入手しやすい。) 内容:マルクス経済学の哲学「唯物弁証法」「唯物史観」「下部構造・上部構造」などのことが非常によく分かる名著である。かのレーニンも「非常に学ぶべきところが多い本である」と絶賛したそうである。「フォイエルバッハ論」とあわせて読めば、より理解が深まるであろう。 感想:非常に感銘を受けた。かのレーニンも「学ぶべきところが非常に多い本」と絶賛したそうで。マルクス主義の哲学面である、「弁証法」「唯物論」が大体分かる。またオーウェンなどに代表される「空想的社会主義」とマルクス、エンゲルスの「科学的社会主義」の違いも分かる。弁証法や唯物論が与えられるまで、社会主義は科学ではなく夢物語に近かったのである。この本は英語版の序文が異様に長いが、イギリスを例に取り「唯物史観」が説明されている。この序文も非常に示唆に富んだものである。解説もあわせて読むことをお勧めする。一文一文が冗長で少し咀嚼に困るところも少なくないので、なるほどそうだったのかと理解する助けとなるであろう。 フランス史10講(柴田三千雄) 内容:フランスの歴史(フランスの起源~第五共和政)までを、10に分けて解説した本である。しかし高校の世界史の教科書のような事実のみを列挙するにとどまらず、社会構造や政治家の思惑などにも渡って書かれており、社会学的な解釈や歴史学的な検討も多く含まれている。「高校の世界史が苦手だったから、無理かも知れない。」等と思っている人でも、暗記によることがないので、非常に読みやすいであろう。 感想:欧州では非常に重要な国であるフランスだが、その歴史は劇場的に解釈されたり、「フランス革命」に至っては有名な少女漫画の作品に利用されたり、「救国の乙女・ジャンヌ・ダルク」も実際のところは悲劇の英雄である。などと意外とその正体は知られていないのではないだろうか。 経済学の発展段階論でも、西洋では「イギリスとドイツ、ときどきアメリカ」のみに焦点があてられ、フランスは申し合わせたように言及されない、というのが経済学を二年間学んだ学部生の私見である。これを読めば分かるが、「経済的に説明がつかないことがおおい。」のである(もちろんイギリスも典型的に封建社会が成立しなかったし、ドイツも典型的に自由主義段階が成立しなかったのではあるが)。今までは「ブルジョワ革命の典型例」とされてきた、いわゆるバスティーユ監獄襲撃に端を発する「フランス大革命」も、実際のところはブルジョワジーが革命の主体に必ずしもなりえていなかったのである。詳細はかなり込み入った事情があるのだが、近代国家への脱皮する過程での急激な変革が、結果として革命になったという了解が正しいといえる。実際、フランス大革命の後もプロレタリアートが量産されたかというと、そうでもない。実際に蒸気機関などによる産業化が達成されたのは、ナポレオン三世のころであり、フランス大革命をブルジョワ革命と解釈したとすると、時間的に一致しない。おまけに産業化が達成された後も、直ちに「ブルジョワとプロレタリア」が特徴的に生まれず、中間層が生まれたのである。その意味では、フランスは自由主義段階が典型的に生まれ出でなかったと考えるべきであろう(実際に宇野弘蔵も「資本論の経済学」で、「イギリスのあとを追うようにフランスとドイツが産業化を進めた。」と言及しているので、後進資本主義国に入ると思われる。)。ただ自由主義段階が典型的に現れなかったのはドイツも同様であるが、植民地の数でいうとフランスとドイツは雲泥の差があるではないかと思う人もいるであろうが、それは自由主義段階の前の重商主義段階(絶対王政)があったかどうかに規定されると考える。フランスはブルボン王朝期に正しく「朕は国家なり」で代表される絶対王政の栄華を極めた時期が存在し、対外的に植民地を持っていた(革命後の復古王政期にも、シャルル10世がアルジェリア遠征などを行っている。)。しかし同時期のドイツは神聖ローマ帝国であり、絶対王政とは到底呼べない、中世に見られたような封建的な制度を色濃く残しており、その意味では近代化が著しく遅れたと言える。神聖ローマ帝国が崩壊するのは、ナポレオンの東方遠征のときであり、その後にドイツ統一を果たし、1800年代後半にビスマルクがやっと中央主権化を果たし、国家の近代化に着手し、普仏戦争でナポレオン三世のフランスを破る、という流れになる。ちなみに日本も後進資本主義国の典型例である。仏独の差は、おそらくここにあると言えるであろう。また時代は下り、第五共和制のころに発生した「五月革命」という騒乱であるが、これは資本主義が爛熟し、その意味では満ち足りた生活を送っている学生であっても「フラストレーション」が溜まるのである。すなわち「生産力の矛盾」で規定される、唯物史観・唯物弁証法では説明のつかない「社会学的矛盾(=一切の拘束からの自由)」とも云うべき実態がそこにはあるのであり、それによってのみ行われるその意味での「階級闘争」であった。 むしろ資本主義が爛熟することによる矛盾とはここに存在するのではないか、とも思える。 というように、フランスの歴史はかなりその意味で「特徴的」である。経済的対立より政治的対立が先行した歴史である。「フランスは経済的矛盾より、政治的思惑に左右されがちな歴史を持つ。」ということは、エンゲルスも指摘していたそうである。 韓国現代史(文 京洙) 内容:基本的には韓国の平易な戦後の歴史を解説した本である。政治史ばかりではなく、歴史学的な観点や社会学的な検討も行われている。何かとこじれがちな日韓関係であるが、その日韓関係史を知ることで、自分の意見を持つことができると考える。 感想:今でこそそれなりの先進国的な色合いを見せている韓国ではあるが(意外とすぐ通貨危機になるんだね、とも思うけど。)、ほんの20年前まで軍事政権であったことを、隣の国の国民で有る我々が、まずなにより知っておくべきである。韓流が一時期はやったが、正直韓国をそこまで深く知っている人はいないのではなかろうか。中国近代化の父である「鄧小平」を知っている人はいても、韓国近代化の父(と同時に冷酷無比な独裁者)である「パク・チョンヒ」を知っている人は中々いないのではなかろうか。韓国の近現代も、中国の過酷な人権弾圧の影に隠れて、中々どうして、血生臭いものである。「未だに韓国には、徴兵制が存在する。」それが、韓国の暗い歴史を考える契機となるであろう。 不思議の国ベラルーシ―ナショナリズムから遠く離れて (服部倫卓) 内容:東欧・スラブ圏にちょこんと存在する、地味な小国、ベラルーシ。その昔は「白ロシア」と呼ばれていた。しかし独立してからなお、いろんな意味でいびつな歴史を辿った。「ベラルーシとしてのナショナリズム」も、それはロシア、ウクライナとの関係を考えずには語れない。 感想:ナショナリズムとは何か?国民と言語の関係は?それを歴史に翻弄された国、ベラルーシという国から考えていく本です。ベラルーシ国民は、ロシアとの緩やかな統合を望んでいる人が多い。高齢者は、昔のソ連の復活を望んでいるから、若い人は新しいリーダーであるプーチンに期待をしているから。ベラルーシ・ナショナリストは自分の国の歴史と向き合い、国民性を育てようとしている。しかし、ベラルーシは寛容と共生の国民性を持っている。その心が、ナショナリズムという思想によってかき消されるのであれば、それは果たしていいことなのだろうか?実際、独立時に過激な民族主義が勃興した時期もあったが結局は消えていった。ベラルーシ語という現地の言葉もあるものの、実際にベラルーシでベラルーシ語を話す国民は少ない。大体の国民はロシア語を使うのである。ましてやベラルーシ・ナショナリストもロシア語を用いていることもある。ベラルーシ語を使うことが、一概にベラルーシの国民性を育てることとは限らないのだ。日本においてベラルーシのことを専門に調べた人は少なく、これが本邦初のベラルーシに関する本である。日本からは遠く離れた国ではあるが、ナショナリズムを考える上で深い示唆を与えるものである。 永遠平和のために(イマニュエル・カント著 宇都宮芳明訳) 内容:世界の恒久的平和はいかにしてもたらされるべきか。カント(1724‐1804)は、常備軍の全廃、諸国家の民主化、国際連合の創設などの具体的提起を行ない、さらに人類の最高善=永遠平和の実現が決して空論にとどまらぬ根拠を明らかにして、人間ひとりひとりに平和への努力を厳粛に義務づける。(アマゾンより引用) 感想:ヘーゲルやエンゲルスが、カントを否定していましたが、そこまでひどい内容だとは思いませんでした。むしろヘーゲルとカントは補完関係にあるような気もしました。「具体的な示唆」を与えたのがカントで、「抽象的な理論」を与えたのがヘーゲルと云った感じでしょうか。カントは政府が存在することで、人間の利己的な心に均衡をもたらす。のようなことを云ってました。これは理解ができます。ただ、国際政治の場では、その国家の代表になる人物は、利己的な心を持ち合わせているのでしょうから、「国際政治の場では、道徳的な心を持たねばならない」とするカントの言い方は、少し無理があると思いました。また「人間の理性にそぐう体制は共和制。なぜならば、国民の理性の意志を代表する国家であれば、戦争の負担をする直接背負う国民は、そのような大博打にはでない。」とするカントですが、ワイマール共和制からナチズムへ転化した事実を、どう説明するのでしょうか。国民は容易にイデオロギーに感化されてしまう存在なのかもしれません。ただ逆に言えばカントは、「国民は馬鹿じゃダメだ。(理性を獲得するために)学べ。」と示唆しているのかもしれません。民主主義ですからね。またカントは、商業を奨励しました。「平和でなければ商売はできない。」というのがカントの言い分でしたが、彼は「死の商人」や「帝国主義段階」を予見できなかったのでしょうか。そこも理性があれば克服できると考えていたのでしょうか。一見当たっているように見えて、よく考えると「?」と思えるところが少なくありませんでした。但し、「政治的な道徳家」は存在しない、や、「哲学者に耳をかたむけるべきだ。しかし哲学者が王になってはならない。」といっているところは、言い得て妙であると感じました。「自然が人間を平和に仕向ける」というのは、どうなんだろうとも・・・。 ヘーゲル哲学入門 (寄川条路著) 内容:本書は、ヘーゲル哲学への本格的な導入を目指すコンパクトな手引きでありながらも、かなり大きなスケールを用いた少し歯ごたえのある入門書である。巻末には、読者の学習の便を図るために、ヘーゲル哲学の主要な専門用語(テクニカルターム)の解説を付録として載せた。さらに、ヘーゲル哲学に関心を寄せる大学生や一般読者のためのファーザー・リーディングとして、コメント付きの文献案内を基本文献と参考文献に分けて掲載してもいる。(アマゾンより引用) 感想:入門書とは銘打ってますが、結構内容が濃いです。すぐに読み終わると思っていたのですが、実に一ヶ月掛かるという^^; 読む契機は勿論マルクス経済学の理論である「唯物弁証法」なのですが、結構違うのではないかと思いました。愛を重要視すると云う点で、ヘーゲル哲学を批判的に継承したとされるフォイエルバッハとは違います。また「啓蒙を啓蒙する」というところも非常に興味深い。カントの啓蒙思想が、最終的に宗教的支配さながらの、人間によるファシズムなどに代表される合理的支配を招いたんだそうです。「啓蒙的理性は、外部にある非啓蒙的な野蛮によってではなく、内部にある理性的な自己批判によってのみ完成されるのである。」 結局、「常識を疑え」ということなのでしょうか・・。「意識の経験とは、疑問を持ったり絶望したりという否定的な道程において、一人ひとりが経験を積み重ねて学んでいくひとつの歴史なのであり、個人にとっては、失敗と成功を繰り返しながら教養を身につけていく、人生の具体的な歩みなのである。」哲学とは決して遠い存在なんかではなく、非常に身近に存在するもののようです。読み進めていくうちに、「確かにそうだ。」と思うことは多いです。哲学は非常に抽象化されている学問なので(というか学問自体が抽象的なのだが)、身近な具体的な例に当てはめて考えることが、理解への道だと思います。 資本論の経済学 (岩波新書 青版 733)(宇野弘蔵著) 内容:マルクス経済学を社会主義イデオロギーから引き離し、マルクス経済学を本来の意味で「経済学」たらしめた宇野弘蔵。そしてマルクス経済学を「原理論」「発展論」「現状分析」に整理し、それぞれ「理論を整理する」「段階(重商主義・自由主義・帝国主義などの段階ごとに分析をする)」「現代の経済を分析する」というに仕分けた。元々この文章の原典は一般向けの市民講座で話された講演が元々になっており、平易な文言で書かれている。宇野経済学を知る上での、裁量の入門書である。 感想:「宇野経済学」は、「社会主義的イデオロギーをマルクス経済学から分離させた。」として一種の悪評をこうむることがあるのだが、よくよく考えてみて欲しい。「マルクス経済学」は学説のひとつである。その点を明確にしえない限り(理論を正確に認識し得ない限り)、それを応用することは不可である。その意味において、「イデオロギーと分離はしたが、実践までもの目を摘んだわけではない。」のである。Ⅰ「資本論と経済学」とⅡ「マルクス経済学に特有な二つの用語「物神性」と「変態」について」は宇野弘蔵自身の資本論の解釈について講じている。見返しにも書いてあるが、資本論ばかりではなくスターリンの経済論文、レーニンの帝国主義論、ヒルファーディングの金融資本論についても参照しながら論を進めている。ここで宇野弘蔵は、商品の価値論で、少し興味深いことを云っている。商品の使用価値において、「20エレのリンネルと一着の上着は等価である。」といったところで、宇野はこれを「一着の上着になら20エレのリンネルをイツでも交換してよいといっているだけで(いわば欲望を満たすだけの基準を示しているだけ、これはつまり両者の交換行為を示しているものではない、としている。)、両者に等量の労働力が対象化されているものではない。」といっている。ただ宇野弘蔵は他のところで、「各種の産業生産物がそれがためにその生産に要した労働によって決定される価値によって売買されないからといって、それは資本家と資本家との間のことに過ぎない。しかもその生産物の生産に要した労働によって決定される価値を基準にしないでは、その剰余価値を資本の額に応じて均等に分配するということも出来ない。」とも云っている。おそらくこれは「結果的に」等価労働量によって価格が決定されるということに過ぎないと云っているのではなかろうか。だから、それ以外の要因で価値の変動するということはまず考えにくいのではあるが・・・(周りの企業が何かの要因で意図的に価格を下落させる要因、たとえば新たな技術の開発などの要員によって、ということは考えられるが。それならばまたその交換価値が下がるだけの話である。)。これはミクロ経済学が「限界革命」をなしたのと似たような感を受ける。「水とダイヤモンドのパラドックス」というものであるが、「水のほうが重要度(効用)が高いのに、重要度の低いダイヤモンドのほうが高い価格がつく。」というものである。ミクロ経済学では「全部効用」と「限界効用」を分ければ解決すると説いたが、等価労働量の額が価格を結果的に規定するといえば、納得がいくものである(まず量が少なくて取るのに手間がかかると思えば、取った業者は高い値を吹っかけると考えればよい。)。まず、効用の量などを考える必要は、少なくともマルクス経済学においては必要ない。Ⅲ「理論と実践」では、宇野自身の社会主義イデオロギーに対する考察が書かれている。ここで宇野は、唯物史観について一石投じている。まず、宇野弘蔵は唯物史観について、「資本論の説く社会主義の必然性には私は根本的な疑問を持っている。」としている。まず、「唯物史観そのもの」は「経済学」によって説かれているものであるが(ヘーゲル弁証法などの哲学を援用(準用?)している時点で、唯物史観を経済学によるものであると断言していいものなのかどうかとも、個人的には思うが。哲学は商品経済そのもののみを対象としているものではない。)、経済学とは本来資本主義的商品経済を解明しようとするものであるから、そのような学説が超歴史的な発展・転化の過程をとくことはできないとしたのである。確かに、唯物史観そのものによって、ブルジョワ革命を「ブルジョワジーが封建的桎梏を打破するための革命であると定義したにすぎない。」といえばそれまでである。ブルジョワ革命の代名詞といえばフランス革命があったが、実際のところはそうであるといえないとするのが多勢のようである。まずなにより、ヴァスティーユ監獄襲撃に端を発するフランス大革命によって自由主義段階がフランスにもたらされたかといえば、そうでもない(詳細はフランス史10講の私のレビューを参照していただきたい)。しかしながら、マルクスがフランス大革命を考察したというのは、事実のようではある。実際、イギリスで典型的に自由主義段階が形成されるときは、エンクロージャや産業革命によるものが大きく、決して革命があったというわけではないことに、留意する必要はある。むしろ、シュンペーターのいうように、「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによって鉄道をうることはできないであろう。」に代表される、「新結合(イノヴェーション)」によるものであると考えるが妥当であり、この新結合は原則として「単に古いものに取って代わるのではなく、一応これと並んで現れる。」し、「必要とする生産手段を何らかの旧結合から奪い取ってこなければならない。」のである(なぜにいきなりシュンペーターかと思われる人もいるであろうが、「資本主義は前資本主義社会の骨組みを破壊する際に、自己の進歩を阻止する障害物を打ち壊したのみならず、さらにその崩壊を防いでくれる支壁をも壊してしまった。(そのことについて彼は、ブルジョワジーは「幻聴と原価計算には夢中するが、政治的に無力であり、階級利益を守ることにおぼつかないからだ。」。)とした。」そしてさらに、「たとえマルクスの挙げた事実や理論付けが現在言われているものよりいっそう多くの欠点を持つものであったとしても、マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊することを主張するにとどまる限り、なおその結論は心理たるを失わないであろう。私はそう確信する。」といったことは、一向に値するのではないか。彼自身、自分の理論がマルクスのそれと重なり合うものであるとは、最初気づかなかったという。)私の、資本論を学ぶ上での疑問が、解消されたという意味でも、非常に価値あると考える。宇野弘蔵は、「イデオロギーを考える前に、まず資本論そのものをきちんと整理して体系付けることが重要である。それでこそ資本論が生きてくる。」ということを説きたかったのであろう。それでこそ、資本論を実践に移す過程までもが、整備されたものになるということに、他ならない。 トウ小平の遺産―離心・流動の中国 内容:発火する経済。地方政府の暴走。都市に向かう民衆の奔流。現在の混乱は、改革・開放路線の必然なのか。一九七八年以来一六年間の「総設計師」鄧小平。その「思想」の何が、どのような現実を中国にもたらしたのか。「鄧以後」をめぐり、種々の憶測が飛びかうなか、北京特派員・香港支局長の経験に基づき、中国の〈いま〉を報告し、明日をよむ。(アマゾンより引用) 感想:今の中国は名実ともに経済大国になりつつあるが、なぜそうなったのか、そしてどういう歴史があったのかを解説する本。ただ刊行は1995年なので、内容は古い。ただ鄧小平がどのように権力を掌握し、どのような政策を行ったのかは分かるので、多少なりとも役立つのではないだろうか。過去を知るというのも、悪いことではない。今の中国共産党の党是の一つである、「鄧小平理論」というのがあり、正しく鄧小平が作ったものである。ただ理論と云っても非常に場当たり的であり、理論と呼べるほどのものではない(毛沢東思想も、体系的ではないのだが)。ただ、「社会主義であろうと資本主義であろうと、生産力を上げるという点では矛盾していないので、社会主義が市場を活用しても問題はない。計画だろうと市場であろうと、方法である。」というなんともアクロバットな発想が鄧小平の思想である。この本の中で著者は、「中国共産党の求心力と指導力は低下している。」と述べている。今の主席の胡錦濤は「リベラリスト」と目されていたが、地味に強権的な側面ものぞかせている。これは、著者の予測が当たっているのだろうか。著者が今の中国をどう思っているのか、知りたいところである。 職業としての政治(マックス・ウェーバー著 脇圭平訳) 内容:あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。(アマゾンより引用) 感想:政治とは何か。それが全部書いてある。これは1919年に、ヴェーバーが公開講義で講演した内容が収められているのであるが、かなりぶっちゃけた内容となっている。ここまで暴露されると逆にすがすがしい。「政治にタッチする人間は、権力の中に身を潜めている悪魔の力と手を結ぶもの」「全ての国家は暴力の上に基礎付けられている」←これはトロツキーも云っている。云いえて妙である。ヴェーバーは、どことなく形の変わったマルクス、エンゲルスのような気もした。ただ講演の内容をそのまま収めているので、章立てされていないので、少し読みにくいような気もした。一番後ろのあとがきとあわせて読むことで、理解が深まるであろう。 職業としての学問(マックス・ウェーバー著 尾高邦彦訳) 今の版は、こちらである。 内容:第1次大戦後の混迷のドイツ。青年たちは事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した。学問と政策の峻別を説くこの名高い講演で、ウェーバー(1864‐1920)はこうした風潮を鍛えらるべき弱さだと批判し、「日々の仕事(ザッヘ)に帰れ」と彼らを叱咤する。それは聴衆に「脅かすような」印象を与えたという。(アマゾンより引用) 感想:今でも問うべきところが多い本であることに、間違いはない。学生はもちろんだが、中高で教師をやっている人も是非読んで欲しい本であろう。教師は政治的指導者ではなく、学問を単純に教えるべき存在であり、自らの政治的意見や主観から自由でなければならないということは、今でこそ肝に銘じるべきではないだろうか。またインターネットでも政治的に偏向した意見が散見されるが、もし彼らが学生であるならば、本来的に学生の本分に戻るべきであろう。社会科学的事実は、道徳や政治的倫理的主観や価値から自由でなければならないということも説かれている。学問とは本来的にそういうものであるということは、云うまでもないし、むしろそうあるべきである。むやみな理想や世界観を描く前に、事実や現実を見据え、粛々と学問に携わるべきである、それが学生のあるべき姿だ。と、単純な主張で片付けることも出来るが、むしろ真っ当であるがゆえに、見落としていることもある。だからこそ説得力を持つのであり、気づかされることもある。マックス・ヴェーバーの著作は二つ目であるけども、「云われてみれば確かにそうだ。」と思わされることが多い。 経済学の考え方(宇沢弘文著) 内容;宇沢弘文の考える、経済学史の本であると同時に、彼の歴史上における経済思想を一つ一つ評価している本。A・スミスからミルトン・フリードマンまで解説がなされているので、なるほどそうだったのかと思わせる箇所も多い。 感想:少し経済学に詳しい人でないと難解であるとも思える。経済学を初めて学ぼうとする人がこの本にとりかかると、少し難儀に思うかもしれない。多少は経済学の思想を一通りかじった人が読むべきであるといえる。今我々に課せられている使命は、ジョーン・ロビンソンの説く「経済学第二の危機」である。 今村 賢人(いまむら けんと) 内山 賢尚(うちやま けんしょう) 大信 一樹(おおのぶ かずき) 豊かさのゆくえ―21世紀の日本 (佐和 隆光) 内容:日本がなぜこのような豊かな国になったのか。それは高度経済成長によるものであることはもちろんのこと、日本が対米貿易などで黒字の立場にい続けたことによる。他にも日本がいかに他の国から不平等に扱われているかや、学園闘争の経緯など、初心者にもわかりやすく説明されている。これからの日本を考える上で、この本の事項は必須であると思われる。 感想:「世界規模で日本を考える」なんてことは今までにしたことはありませんでした。以前私の高校に秋山仁さんが講演にいらしたとき「貧しい国に行ってごらん、それから君は変わるから。」と仰っており、精神的に貧しくなっている(?)私たちにとっては日本の立場が世界的にどのようであるかを知ってこれからどうすべきかを考えなくてはいけないと思っているところでした。この本は、バブル崩壊直前に執筆されたものなので、ある意味ハッピーエンドで終わっているところが特徴的です。 きみたちと朝鮮(尹 健次) 内容:日本と朝鮮半島の国々の交流の深さを示し(例:飯能市とあるが、昔の朝鮮語の発音で韓国という意味であるらしい)、… (以下準備中) 作成中 奥村 拓磨(おくむら たくま) 松本 友也(まつもと ともや) 文化人類学の方法と歴史 内容:文化人類学の学説史ですが、それなりにシンプルにまとまっています。全体像を知る入門書としては最適と思います。 感想:文化人類学のパラダイムの変遷は、そのまま近代西洋の価値観の変遷と考えられます。人種差別、男女差別思想を生み出したり、またそれを否定したりするうえでの理論的根拠が文化人類学に求められていました。文化人類学にハマると物事を相対化して考える態度が身につくというか、断定への反発が条件反射で起こるようになります。そしてわりとニート的な思考になります。経験則的に。あと、現代思想のはじまりであるレヴィ=ストロースの構造主義は、元々文化人類学の方法論です。思想における構造主義は現象学や実存主義に対する反発で起こったのかもしれませんが、人類学的な構造主義は、機能主義に反発して起こりました。これは重要なことです。 現代思想の冒険 内容:近代哲学から現代思想までの流れを、そこそこ詳細に扱ってます。とりあえずこれ一冊読んどけばだいたいわかります。 感想:カント~ヘーゲル・マルクスあたりの流れは別の本でしっかりやっといた方がわかりやすいかもです。あと現象学についての項目はちょっと微妙・・・。 ソシュールと言語学 内容:構造主義の理論的なベースとなったソシュールの言語学について書かれています。ソシュールが打ち出した方法論は、言語学に学問としての価値を与えた超重要なものです。レヴィ=ストロースやバルトやデリダやラカン、そこらへんの構造主義、ポスト構造主義の学者は、ソシュールの生み出した言語学的な新概念(シニフィアンとシニフィエとか)を人類学、精神分析、テクスト批評など様々な分野に持ち込み自論を組み立てました。ソシュールがわからなければ現代思想はわかりません。 感想:とりあえず1章だけでも読んでおけば、他の学者に引用されまくってる用語や概念、方法論についてはわかると思います。それ以降は言語学の突っ込んだ話になってくるので、興味が無いとつまらないかもしれません。 若林 諄(わかばやし じゅん)
https://w.atwiki.jp/lifehacks/pages/11.html
本 所有した本(2巻以上のもの)はすべてWikiに記録する 買う前に「記憶」ではなく「携帯」でWikiをチェック! 買った本はさっさと読め(読むことで「この巻を読んだ」という記憶を定着させられる) 小説 GOSHIK 3 護くん:4 され龍の短編集 バイトの短編集 まぶらほの短編集 万博本 モリゾーキッコロの絵がたくさん載ってる(子供向け) グローバルコモンについて書いてあるもの used 赤と黒:新潮文庫 華美